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東京高等裁判所 平成10年(う)1775号 判決 1999年8月27日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決留日数中二二〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人竹田穣及び同西村常治連名作成名義の控訴趣意書並びに同野田房嗣作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官古崎克美作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

一  事実誤認の主張について

論旨は、要するに、原判決は、甲野太郎(以下「甲野」という。)及び乙山次郎(以下「乙山」という。)らが共謀の上、原判示第一のSハイツ○○号室及び同第二の土地、建物等を侵奪した際、被告人は同人らの実行行為の途中から共謀等に加担し、承継的共同正犯として罪責を負う旨認定して被告人を有罪とした、しかし、(1)被害者甲山三郎らが姿を隠した時点で、同人らの右マンション及び右土地、建物等(両者を合わせて、以下「本件各物件」という。)に対する占有は消滅した、(2)そもそも、被告人には乙山らとの不動産侵奪についての共謀が存しない、(3)そうでないとしても、被告人が関与するまでに、乙山らの行為により本件各物件の侵奪行為は完了しており、被告人の行為は不可罰的事後行為にすぎないなど、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。

そこで、原審記録を調査して検討するに、原判決がその挙示する関係証拠によって原判示第一及び第二の各事実を認定したことは正当として是認することができ、その他の証拠及び当審における事実取調べの結果を合わせて検討しても、原判決の右認定に所論指摘のような事実誤認があるとは認められない。以下、補足して説明する。

1  本件に関する経緯等については、関係各証拠によれば、

(一)  被告人は、不動産業を営む株式会社の代表取締役であるとともに暴力団××会××一家△△会会長の地位にある者、乙山は、△△会□□組組長であるとともに△△会事務局長の地位にある者、また甲野は、金融業及び不動産業を営み、かねてより被告人及び乙山と交際のある者であること

(二)  平成九年一一月二五日、ガソリンスタンド経営の失敗などから四億円近い負債を抱えて経済的に行き詰まった甲山三郎(以下「甲山」という。)は、債権者らの追及から一時逃れるため、自己の居住していた原判示第一のSハイツ○○号室(以下「本件マンション」という。)の玄関ドアに鍵をかけた上、ここを出て姿を隠したが、その際、持ち出した物は衣類等身の回りの品と現金だけであって、家財道具の類はすべて置きっぱなしにした状態であったこと

(三)  甲山は、(二)記載のように姿を隠すに当たり、原判示第二の土地、建物等(以下「本件居宅等」という。なお、その形状等は、敷地の周囲がブロック塀等で囲まれ、その北西側に公道に面して出入口が設けられており、敷地上には母屋のほか物置等が存する。)に居住していた両親も一緒に連れていくこととし、両親も身の回りの物だけを持ち、家財道具類はそのままで建物の戸締まりをし、三人で姿を隠したこと

(四)  甲山に対して三〇〇万円の貸金債権を有していた甲野は、翌二六日には甲山が姿を隠したことを知ったが、自己の債権が無担保であったことから、その日のうちに事件ものの物件の取扱いに通じた乙山に相談を持ちかけ、その結果、他の債権者らに対抗するために本件各物件を自分たちで占有して侵奪する旨の共謀が成立したこと

(五)  (四)の共謀をその場にいた長島修から聞いた被告人は、同月二七日ころ、甲野及び乙山にそれぞれ架電して、「お前ら、何を蔭でこそこそやっているんだ。」などと叱りつけた上、乙山に対しては、同人の本件マンションに△△会傘下の勝野組長を入居させようかとの提案に反対したり、甲山ら所有に係る本件各物件の担保関係を調べて報告するように言ったこと

(六)  同日ころ、(四)の共謀に基づき甲野は、かつて甲山の従業員であった石田茂に立会をさせた上で本件マンション玄関ドアの施錠を交換してその鍵三個を取得するとともに、右ドアに「立入禁止、甲野商事、<電話番号略>」と書いた張り紙をしたこと

(七)  同月二八日ころ、乙山は、本件居宅等の敷地への出入口門扉に「何人も立入り禁止、(株)甲野商事管理部担当乙山、<電話番号略>」と書いた張り紙をしたこと

(八)  甲野は乙山に言われて、同月一二月一日ころ、かつて甲山の従業員であった天野に立会をさせた上で、本件居宅表玄関の施錠を交換したが、その日のうちにその鍵二個を乙山に渡したこと

(九)  同月二日ころ、被告人は、乙山の案内で本件居宅等に赴き、既に施錠の交換がなされていたことから、その建物内部を見て回るなどしたが、その際、残された甲山らの所有品については手を付けなかったこと

(10) 同月一九日ころ、被告人は、乙山を通じて甲野から、同人の甲山に対する三〇〇万円の債権を一〇〇万円で買い取って領収証を受領したが、その領収証には受領金の趣旨に関して、「ただし、甲山商事、占有権売買マンション(氷川町)・自宅(青柳町)」との記載があること

(11) 被告人の配下の丙野五郎(以下「丙野」という。)は、被告人から本件マンションに住むように言われたことから、同月二三日ころ、ペンキ屋に依頼して玄関ドアや窓枠の塗装をさせるなどした上、同月二四日には、同棲中の女性とともに引越をして整理タンス、テーブル等を持ち込んで本件マンションで生活を始め、同月下旬から平成一〇年一月上旬にかけて同室内に置かれていた甲山所有のベッド、本棚等を粗大ゴミとして処分するなどしたこと

(12) 平成九年一二月三〇日、被告人は本件居宅等に赴き、配下の組員に清掃をさせ、丙野に指示して約四〇万円相当のテレビ、布団、炬燵等を購入させて本件居宅内に運び込ませた上、翌三一日には配下の者数名を連れて入居したこと

(13) 平成一〇年一月以降、本件居宅等につき、被告人はブロック製の門扉を外して桧造りの門扉を取り付け、更に、本件居宅内に存した甲山親子所有の家具等を処分する一方、室内の床や壁を張り替えたり、敷地内で二階建て建物の建築を始めるなどしたこと

以上の各事実が認められる。

右認定の経緯によれば、甲野及び乙山の両名が、甲山親子が債権者の追及を一時免れるため平成九年一一月二五日に姿を消した直後の同月二六日、甲野の甲山に対する三〇〇万円の債権保全に名を借りて本件各物件の占有を奪って侵奪する旨の共謀をなし、同月二七日ころには本件マンションにつき、同年一二月一日ころには本件居宅等につきそれぞれ不動産侵奪の実行行為に着手したことは明らかであって、このことは甲野及び乙山も自認するところである。

所論は、甲山親子は、平成九年一一月二五日、いわゆる夜逃げをし、本件居宅等及び本件マンションの占有を自ら放棄したのであり被害者側の占有は既になくなっていたので、そもそも本件において不動産侵奪罪が成立する余地はないと主張するが、前記(二)、(三)認定のとおり、甲山らは本件各物件を出るに当たって、その内部は家財道具類を含めて基本的にそれまで生活していた状態をそのままにし、しかもそれぞれドアや窓等の施錠をして、家を出た(これは厳密にいうと、「夜逃げ」というよりも、「債権者らの追及から身を隠した」というべきである。)というのであるから甲山らの占有が消滅したと評価することは到底できず、右主張は失当である。

2  被告人の共謀について

問題は、被告人が乙山らと共謀したといえるかどうかであるが、この点についても、被告人は遅くとも平成九年一二月一九日ころの時点では本件各物件に対する侵奪の故意があり、被告人が乙山及び甲野らと共謀(本件マンションについては、この直後ころに丙野とも共謀成立)の上、本件犯行を敢行したものと認められる。すなわち、関係証拠によれば、甲山が姿を隠したことから、前記1の(四)認定のように、同年一一月二六日には甲野において自己の甲山に対する三〇〇万円の貸金債権保全のために乙山に相談をし、両名の間に甲山ら所有に係る本件各物件侵奪の共謀が成立したこと、同月二七日ころ長島修からこのことを聞きつけた被告人が甲野及び乙山に対してそれぞれ架電し、甲山ら所有の本件各物件を占有することにつき被告人も関心を有しており、必要な報告を自分にもするように指示したこと、被告人は同年一二月二日ころに乙山の案内で本件居宅等に赴いて建物内を見て回ったこと(前記1の(九))、以上の各事実が認められる。そして、右認定の一連の事態の延長線上の出来事として、乙山は、「同年一二月一九日の少し前ころ、△△会の総本部事務所で、被告人から、甲野の甲山に対する三〇〇万円の債権を買い取ることにしたと言われて現金一〇〇万円を渡され、領収証を貰ってくることになった。その際、領収証には、氷川町のマンション(本件マンション)と青柳の自宅(本件居宅等)の占有権売買と書くように指示された。被告人自身が本件各物件に占有をかけるつもりになったことが分かり、被告人の力になろうと思った。その日のうちに甲野に連絡を取った上、喫茶店で同人と会って被告人が甲野の甲山に対する債権を買い取る趣旨だということで被告人から預かった一〇〇万円を渡した。領収証は、甲野が直接被告人に渡すというので、その時は、受け取らなかった。」旨述べており、一方、甲野も、「同年一二月一八日ころ、乙山から携帯電話で、「会長が占有権を売って欲しいと言っています。会長から一〇〇万円預かっています。どこに行ったらいいですか。」との連絡があり、断れないので、本件各物件の占有権を乙山経由で被告人に売る形になった。本件マンションだけでよいか確認したが、乙山に本件居宅等も入れるように言われて、両方売った形にして領収証にはそのような記載をした。領収証は、翌日乙山に渡したと思う。」旨乙山の述べるところにほぼ付合する供述をしているところ、両名はいずれも被告人の配下にある者ないし影響下にある者で、虚構を構えてまで暴力団の有力者である被告人を陥れる可能性は全くなく、内容的にもその前後の事態に照らして極めて自然で合理的なものであって、高い信用性が肯定できる上、領収証写し(原審乙10号証に添付されたもの)という物証によって裏付けられているのであって、要するに、同年一二月一九日ころ、被告人は、本件各物件への唯一の手掛かりである甲野の甲山に対する債権を取得することとし、自ら一〇〇万円を準備して乙山に甲野との交渉をさせ、本件各物件の占有権を売買することを明記した領収証を入手している(前記1の(10))のであるから、遅くともこの時点で甲山ら所有の本件各物件を侵奪する故意をもって、乙山及び甲野と共謀したものと評価すべきは当然である。被告人は、当審公判廷において、被告人が一〇〇万円で占有権を買った形になっているけれども、これは乙山と甲野が勝手に行ったことで、自分はあずかり知らないなどと供述するけれども、この点については被告人自身、捜査段階では、「同年一二月一九日ころ、甲野の甲山に対する三〇〇万円の債権を買い取ることにしていたのを思い出し、乙山に対して甲野と交渉するように言って、一〇〇万円を渡した。その際、債権だけでなく、本件居宅等の占有権も併せて売ってもらうように乙山に指示し、実際に乙山は、そのとおりにしてくれた。」などと述べて(原審乙2、3号証)、少なくとも本件居宅等については、被告人が主導的に占有しようとしたことを明確に認めていたところ、右各調書は、他の関係者の供述とよく符合し、また追及を受けても自己に不利な点は頑強に否認を通している部分が存するなど、信用性の高いものであって、これとの対比において被告人の当審供述は到底信用することができない。

なお、右一〇〇万円授受の趣旨については、三者の間で必ずしも一致していないようにみえるけれども、もともとこのやりとりは法的な意味を持つものではなく(被告人が甲野の貸金債権を取得しようが、あるいは占有権を取得しようが、本件各物件につき正当な占有権限を取得できる余地は全くない。)、単に、被告人らがこれらを占有する上での事実上の形を作るためだけのものだったのであって、要するに、被告人が本件各物件にいわゆる占有をかけるに際して、外形上手がかりになる甲野の甲山に対する三〇〇万円の貸金債権を被告人に譲渡させ、合わせて領収証に本件各物件に関する占有権売買の旨を付記したものとみるべきものである。

所論は、被告人には乙山と甲野の本件各物件に対する占有を承継する意図しかなく、しかもそれは正当な権限によるものと信じていたから、甲山らの不動産を侵奪する故意はなかった旨主張するが、そもそも甲野が乙山に相談を持ちかけたのは、自己の債権に担保権がついておらず、また甲野は甲山ら所有に係る本件各物件を占有すべき権利等がないことからであり、前記1の(四)、(五)、(九)、(10)認定の経緯に加えて、被告人は不動産業に従事しているばかりでなく、かねてより競売物件やいわゆる事件ものの不動産を取り扱っていた経験を有することに徴すれば、被告人は、乙山らの本件各物件に対する占有は何ら正当な法的根拠に基づくものでないことを熟知した上で、本件各物件の侵奪に関与していったことは明らかであり、更に、信用性の高い甲野供述(原審乙11号証)によれば、同人は被告人に対して何度か、自分の売った占有権は法的には何の根拠もないのでやばいのではないか、ということを指摘して注意喚起をしたというのであり、これは右認定を裏付けるものである。所論は採用の限りでない。

3  本件居宅等について

不動産侵奪罪にいう「侵奪」とは、不法領得の意思をもって、不動産に対する他人の占有を排除し、これを自己又は第三者の占有に移すことをいうものと解されるところ、「侵奪」があったか否か、特にそれがいつ既遂に達するかは、具体的事案に応じて、不動産の種類、占有侵奪の方法、態様、程度、占有期間の長短、原状回復の難易、占有排除及び占有設定意思の強弱、相手方に与えた損害の有無などを総合的に判断し、社会通念に従って判断すべきであるが、なお、本件においては、目的物が直前まで甲山親子が居住していた物件であることにも留意すべきである。そして、本件居宅等に対する不動産侵奪の実行行為がいつ始まり、いつ既遂に達したかに関しては、前記1認定の事実関係をもとにして、右の基準に照らして検討することとなる。

まず、実行の着手については、前記1の(七)、(八)認定のとおり、平成九年一一月二八日ころ、乙山が、本件居宅等の敷地への出入口門扉に「何人も立入り禁止、(株)甲野商事管理部担当乙山」などと書かれた張り紙を貼付し、更に、甲野において、同年一二月一日ころ、本件居宅表玄関の施錠を新しいものと交換して、その鍵二個を乙山に渡したのであるが、右一連の行為は甲山らの占有を侵害して乙山らが自らの占有を設定しようとするものであるから、これが不動産侵奪罪の実行の着手に当たることは明らかである。

問題は、既遂時期であるが、所論は、立入禁止との張り紙がされ、施錠の交換がなされた時点で、乙山及び甲野による不動産侵奪罪は既遂に達しており、その後の段階で被告人が何らかの共謀、関与をしたとしても、不動産侵奪罪は状態犯であるから、既遂に達した後に当該不動産の占有を確保する行為やそれを利用する行為は不可罰的事後行為として犯罪を構成する余地はない旨主張するので、この点についても視野に入れつつ判断する。

本件居宅等に即してみると、本来これを占有していた甲山の両親が、甲山とともに姿を隠すこととなった際の具体的状況は、前記1の(三)認定のとおり、すべての家財道具類をそのままにして、わずかの身の回りの品のみを持って出たものであり、また甲山親子の主観面においても、再度本件居宅等に戻ってくることを予定していた上、乙山及び甲野側の行為は、単に、本件居宅等の出入口門扉に張り紙をし、本件居宅表玄関の施錠を交換しただけで、建物内部はそれまで甲山の両親が生活していた状況がそのままにされていた事情に加えて、施錠の交換についても子細に検討すると関係証拠によれば、甲山のかつての従業員の立会を求め、費用も同人が出しているというのであって、要するに、従前の甲山側の占有が相当に強度なものであった反面、乙山らの行為は甲山側の占有を完全に排除するまでのものではないというべきである。また、もともと不動産に対する侵奪行為は、その行為の性質上一定の時間的継続があるのが通常であり、侵奪とみうる最終の行為が終わるまでは既遂に達したと評価することはできないところ、本件にあっては、乙山及び甲野の行為は甲山親子が姿を隠した同年一一月二五日からわずか数日から一週間程度しか経過していない間のものであることも右判断を支えるものであって、甲野及び乙山による施錠の交換や張り紙だけで本件居宅等に対する侵奪行為が既遂に達していたと評価するのは無理というべきである。

そして、被告人は、前記1の(12)認定のとおり、同年一二月三〇日、配下の組員に本件居宅等の清掃をさせ、丙野に指示して約四〇万円相当のテレビ、布団、炬燵等の家財道具類を購入させて、本件居宅内に運び込ませた上、翌三一日ころ入居したが、これによって現実に、被告人自身が配下の者らと一緒に生活を始めたのであるから、甲山側の占有は完全に排除され、被告人らの占有が完全に設定されたと評価すべきものであって、このころ、被告人らの本件居宅等に対する不動産侵奪行為は既遂に達したとみるのが相当である。そして、被告人の本件不動産侵奪についての共謀発生時期に関しては、前記2で認定したとおり、同年一二月一九日ころまでには、被告人において乙山及び甲野とともに本件各物件を侵奪することにつき意思を通じて共謀が成立していたのであるから、被告人は、承継的共同正犯として乙山及び甲野とともに本件居宅等の不動産侵奪について刑事責任を負うこととなる。

所論は、(1)本件居宅の内部は汚く、乱雑な状態で、そのままでは人が住めるような状態ではなく、甲山側の占有は強固なものではなかった、(2)また、乙山は、本件居宅の施錠を交換した後、本件居宅への立入りや見回り行為を長期間にわたって積み重ねていたので、このような事情も踏まえて考えれば、被告人の入居前に、乙山らの行為により不動産侵奪罪は既遂に達していたと主張する。しかし、(1)に関しては、家屋内部が多少乱雑であったとしても、同年一一月二五日までは現に甲山の両親が同所において普通に日常生活を送っていたのであるから、この一事をもっても、右主張は失当であるし、(2)については関係証拠によれば、乙山の本件居宅の見回り行為なるものは、施錠を交換した後に被告人が入居の準備を始めるまで三週間程度の間に、数回程度行ったものにすぎない(しかも、一二月二〇日過ぎからは、乙山は被告人より「畳と襖くらいは変えるように。」との指示を受け、これに基づいて本件居宅に業者を入れている。)のであり、本件居宅の施錠を交換した事実以上に乙山と甲野の占有状態を強化するものと評価できるものではなく、いずれの前記の認定、判断を動揺させるものではないから、右各所論は失当である。

4  本件マンションについて

本件マンションに対する不動産侵奪の実行行為がいつ始まり、いつ既遂に達したかに関しても、前記1認定の事実関係をもとにして、前記3で述べた基準に照らして検討することとなる。

まず、実行の着手については、前記1の(六)のとおり、平成九年一一月二七日ころ、甲野は、かつて甲山の従業員であった石田茂に立会をさせた上で本件マンションの玄関ドアの施錠を交換してその鍵三個を取得するとともに、同ドアに「立入禁止、甲野商事」などと書かれた張り紙をしたものであるが、右行為はその性質上、本件マンションに対する甲山の事実的支配を侵害して甲野らが自らの占有を設定しようとするものであるから、これらが不動産侵奪罪の実行の着手に当たることは明らかである。

問題は、やはり既遂時期であるが、所論は、本件マンションについても、施錠の交換がなされ、立入禁止の張り紙がなされた時点で、乙山及び甲野による不動産侵奪罪は既遂に達しており、仮に、その後の段階で被告人が何らかの共謀、関与をしたとしても、不動産侵奪罪は状態犯である以上、既遂に達した後に当該不動産を利用する行為等は不可罰的事後行為として犯罪を構成する余地はない旨主張するので、この点をも視野に入れつつ判断する。

本件マンションに即してみると、本件占有を有していた乙山が姿を隠すこととなった際の具体的状況は、前記1の(二)認定のとおり、すべての家財道具類をそのままにし、わずかの身の回りの品のみを持って、鍵をかけた上で部屋を出たものであり、また甲山の主観面においても、再度本件マンションに戻ってくることを予定していた反面、乙山及び甲野側の行為は、単に、本件マンション玄関ドアの施錠を取り替え、張り紙をしただけであり、しかも施錠の取り替えについても子細に検討すると関係証拠によれば、甲山のかつての従業員の立会を求めている事実が認められるのである。要するに、本件マンション内部はそれまで甲山が生活していた状況(事実的支配)がそのままにされており、甲野らはこれには全く手をつけなかったということは、甲山の占有が完全に排除されたか否かを判断する上で重要な事情であるというべきで、これら諸事情も合わせ考慮すれば、施錠の交換や張り紙という甲野らの行為のみでは、それまで同所で生活をしていた甲山の占有が完全に排除されたとは評価し得ないことは明らかであるといわなければならない。

そして、前記1の(二)認定のとおり、甲野、乙山及び被告人の了解のもとに本件マンションに入居することとなった丙野が、同年一二月二三日ころ、ペンキ屋に依頼して、玄関ドアや窓枠の塗装をさせるなどした上、翌二四日には、同棲中の女性とともに引越をして、整理タンス等を持ち込んで本件マンションで実際に生活を始めたというのであるが、右の丙野らが入居して生活を始めた時点で甲山側の占有は排除されたと評価すべきであって、そのころ、被告人らの本件マンションに対する侵奪行為は既遂に達したとみるのが相当である。そして、被告人の本件における不動産侵奪についての共謀発生時期に関しては、前記2で認定したとおり、同年一二月一九日ころまでには、被告人において乙山、甲野及び丙野と、本件マンションを侵奪することにつき意思を相通じて共謀が成立していたのであるから、被告人は、承継的共同正犯として同人らとともに本件マンションの不動産侵奪につき刑事責任を負うことになる。

所論は、本件マンションについては、玄関ドアが外に出るために唯一の出入口であることを強調して、乙山及び甲野において、その施錠を交換してしまった以上、たとえ本来の所有者であった甲山といえども、本件マンションに入ることは不可能だったとして、乙山らの行為によって甲山の占有排除と乙山らの占有設定が既に完成していると主張する。確かに、本件マンションは鉄筋五階建てマンションの三階の西隅に位置し、玄関を通じてのみ室内に出入りできるという構造に照らせば、甲山が本件マンションに戻ってきて中に入ろうとした場合、若干の困難を感じるであろうことは所論指摘のとおりである。しかしながら、甲山は本来の所有者なのであるから、業者に依頼して鍵を開けてもらうなり、更には、甲野らの付けた施錠を再度交換するなど、中に入るための方法はいくらでもあり、何よりもマンション内部の家財道具等の状態が従前のままである以上、単に、張り紙をしたり、施錠を交換しただけで、甲山の占有が完全に排除されたと評価することは、事柄の全体を見ずに、部屋に入る手段という問題に拘泥した議論であるといわざるを得ず、所論は採用できない。

次に所論は、玄関ドアの施錠を交換し、また甲野らが占有している旨の張り紙をしても、本件マンションの侵奪が既遂でないとすると、新しい行為が加えられない限り、この状態がいつまで継続しても既遂にならないとの結論になってしまうが、その結論が不当なことは明らかであると主張する。しかし、前記3の冒頭で述べたとおり、既遂時期の認定については、侵奪行為者側の占有の継続期間も一つの資料となるのであるから、例えば、施錠を交換したり、張り紙をした状態が数か月も続く一方、本来の占有者側が全く占有回復の措置にでない状態が続くような場合を想定すると、格別新たな行為が加えられなくとも既遂と評価されることがあり得るのであるから、所論は失当である。

更に所論は、仮に、本件マンションに関しては侵奪の実行行為が丙野の入居まで継続していたと考えられるとしても、被告人は、丙野に対して本件マンションへの入居を指示したことはないから、この点からも刑事責任を問われるいわれはない旨主張する。しかし、検察官調書において、丙野(原審甲22号証)は、「平成九年一二月中旬に、被告人から「前に言っていたマンションが見つかったから、入っていいぞ。詳しいことは乙山か甲野に聞いてくれ。」と言われた。その二、三日後に乙山に連絡をとり、更に、甲野と会って本件マンションの鍵を受け取った。」旨を、また乙山(原審乙18号証)は、「被告人が甲野から債権を買ってすぐのころ、丙野から、被告人より本件マンションへの入居を指示されたので、詳しいことを教えてほしいと連絡があった。最初は自分が入りたいと思っていたのを甲野に断られてあきらめた経緯があったので、「何でおまえが入るんだ。」と言ってやると、「会長に入れと言われたんですよ。」と被告人の名前を出され、仕方がないので、丙野には、本件マンションがいわゆる事件もので占有をかけている物件に住むのだから心して入れという意味のことを教えた上で、甲野に連絡を取るように言った。」旨をそれぞれ供述しているところ、乙山及び丙野は、暴力団の有力者である被告人の直接の配下の者であって、虚構を構えてまで被告人に不利益な事柄を述べることは到底考え難い上、乙山、丙野、更に甲野の各供述は、相互によく符合し、協力に補強し合っているのであって、極めて高い信用性が認められ、これらによれば被告人が平成九年一二月一九日の直後ころまでに丙野に対し、本件マンションへの入居を指示したこと(これに先立ち、被告人と乙山及び甲野との間で本件各物件侵奪の共謀が成立していることは、前記2認定のとおりである。)は優に認定できる。右所論は失当である。

5  なお、所論は、原判示第一及び第二の各事実を通じて、被告人は乙山から、甲野の債権を取得すれば占有権限に問題がない旨言われて、そのように信じていたのであるから違法性の意識の可能性がなかったとも主張するが、遅くとも平成九年一二月一九日ころまでには、被告人は、乙山及び甲野らと何らの権限なしに本件各物件を侵奪する旨の共謀をしたことは、前記2で認定したとおりであり、所論はその前提を欠き失当である。

その他所論にかんがみ記録を精査検討しても、原判決の認定に所論が指摘するような事実誤認はない。論旨はいずれも理由がない。

二  量刑不当の主張について

論旨は、要するに、被告人を懲役三年の実刑に処した原判決の量刑は重すぎて不当であり、刑の執行を猶予するのが相当である。というのである。

そこで、量刑の当否について検討するに、本件は、多額の負債を抱えた甲山三郎が債権者の追求から一時身を隠したことに乗じて、被告人の配下である乙山や不動産業者の甲野が、甲野の甲山に対する三〇〇万円の債権を保全するとして時価合計数億円にのぼる右甲山ら所有の不動産に侵奪に着手したところ、これを聞知した被告人が、同人らと共謀の上、被告人の主導で右不動産の乗っ取りを図ることとなり、甲野の甲山に対する右債権を被告人が譲り受けた形を整えるなどした上、被害者らに無断で本件マンションには配下の組員を入居させ、また本件居宅等には自ら勝手に入居して住み込み、甲山らの占有を完全に排除してこれを侵奪した事案がある。

このように、犯行は、計画的で、その態様もすこぶる悪質なものであるが、更に、被害額は極めて多額であって、結果が重大である。そして、被告人は、本件犯行の流れの中で途中から加わったものであるが、共犯者らが自己の支配する暴力団組織の配下の者等であることもあって、事件全体の構図の中で主導的な位置を占め、その中核にいたと評価することができる。加えて、本件犯行は、債務者が経済的に破綻した場合にはその財産を法の定める基準に従って、債権者に公平に配分するという取引社会のルールに体する挑戦であるといっても過言ではなく、本件のごとき無法な犯行に対しては、一般予防の見地からも厳しい態度で臨むべきである。

以上によれば、被告人の刑責は相当に重いというべきであり、他方において、本件の発端は共犯者らの行為によるものであり、被告人は途中からこれに加わったものであること、被害者側との示談に基づき金八〇〇万円(うち七〇〇万円は被告人の負担)を支払ったほか、当審段階で更に金五〇〇万円を追加支払いする合意がなされ、その全額について既に支払いが終わっていること、被告人は本件各物件につき原状回復の努力をしたこと、被害者側が被告人が宥恕する意向を表明していること、重篤な症状の妻を抱えていることなど被告人のために斟酌できる事情を十分考慮しても、被告人を懲役三年の実刑に処した原判決の量刑は、まことにやむを得ないものであって、これが重すぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、刑法二一条を適用して当審における未決勾留日数中二二〇日を原判決の刑に算入することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 仁田陸郎 裁判官 下山保男 裁判官 角田正紀)

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